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座右の寓話「子どもをしかる父親」

「おい、そんなところでゴロゴロ寝てないで!勉強しなさい!」
「どうして、勉強しなきゃいけないの?」
「勉強しないといい学校にはいれないだろ!」
「どうしていい学校に入らなきゃいけないの?」
「いい学校に入らなきゃ、いい会社に入れないだろ!」
「どうしていい会社に入らないといけないの?」
「いい会社に入らなきゃ、いい暮らしができないだろう!」
「いい暮しって何さ?」
「・・・・・そうだな・・・・・寝て暮らせるってことだ・・・・・」
「ぼく、もう寝て暮らしてるよ!」

【仕事をしなくてもいい人生は幸せなのか?】
子どもの質問に答えるうちに結局の所「いい暮らし=寝て暮らすこと」
になってしまったという笑い話である。
しかし、
果たして働かないで寝て暮らすことが本当に私たちの求める幸福なのだろうか。
直感として「違うよな」と思う。
少なくとも日本人の労働観や人生観とは距離がある。

三〇歳の時に年末ジャンボ宝くじを買って、
一等・前後賞合わせて十億円が当った人がいるとする。
彼はすぐに仕事を辞め、
それ以降は一切働かずに遊びほうけて暮らし、八十歳で亡くなった。

ほとんどの人は宝くじに当たった幸運をうらやましいと思うだろう。
しかし、はたして彼の人生そのものをうらやましいと思うだろうか。
彼が、一軒家を手に入れ、外車を乗り回し、世界中を旅行して優雅に暮らしたと聞いても、
彼は五十年間を無駄に過ごしたと感じる人の方が多数ではないだろうか。

人は何故働くのか。

すぐに出てくるのは「生活費を稼ぐため」という答え(経済的要素)である。
しかし、それだけではないだろう。
食うには困らない資産を持っているのになおも働き続けている人がいるし
「体が動くうちは何らかの形で働きたい」と考える高齢者も多い。
こういう事例を思い浮かべれば、働く理由は経済的要素だけではないだろう。

次に出てくるのは「仕事は義務だから」という答え(社会的要素)である。
日本国憲法には「すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」(第二十七条)と書いてある。
社会が滞りなく運営されていくように社会の成員として役割を果たすこと、
これも働く理由の一つである。

では、この二つだけなのか。
そうではないだろう。
前述の二つ以外の「仕事を通じて得られる事」
 - 自己実現の喜びを感じられる個人的要素 -を以下列挙する。

①悪から逃れること。
「小人閑居して不善を為す」のことわざを思い出そう。
小人物が暇を持て余すと、とかく悪事に走りやすい。
私たちのほとんどは小人物である。
昼間から酒浸りになったり、ギャンブルにのめりこんだりという状況から遠ざかることができる。

②他者と交流できること。
ほとんどの生産活動は他者とかかわらざるを得ない。
同僚や取引先や顧客だけではなく、動植物との交流も含まれる。
職場は厳しさが求められる”戦場”である反面、そこは親交の場でもある。

③自分の力を発揮できること。
人間に限らず動物は自分の能力を存分に発揮したときに喜びを感じる。
逆に、自分の力を発揮できないと、人間は悶々とした状態に陥る。

④成長・進化できること。
いろいろな人と出会い、多くのことを学びつつ、さまざまな業務をこなすうちに、
結果的に、職業人として成長・進化していくことができる。

⑤承認欲求が満たされること。
上司から「よくやった!」「次も頼むぞ!」とほめられたり、
顧客から「ありがとう!」「助かったよ!」と言う感謝の言葉をもらったりしたときに
私たちは働きがいを感じる。
それは、自分の能力を認められ、自分の人格を肯定されたことを意味する。

「お金のため」「義務だから」というように、
自分の外側にある目的のために仕事をするのではなく、
「私が私らしくあるためにその仕事をしている」「私の心がその仕事をすることを欲している」
そうした内発的な働く理由があることを忘れてはならない。


たしかに、
「仕事を通じて得られる」五つの個人的要素は重要と思う。
すごくきれいな表現だ!

この寓話で感じる二つの問題、
一つは、
「いい暮らし=寝て暮らせる」という答えしか出てこない、
子どもをしかる資格が無い情けない父親。
二つ目は、
「経済的要素」もまったく説明できない教育システム。
寓話であり、そういうところの議論のお話ではないので問題でもないが・・・。

でも、
少し寓話の世界をハズして考えてみると、
昔、自分が子どもの頃の教育はまさに、最初の父親と子どもの会話の状態だったように思う。
一生懸命勉強して、
いい学校に入って、いい会社に入って、いい会社に入れば給料もよくて一生楽に暮らせる。
みたいな、はなしを理解できていた子どもが果たしていたんだろうか?

今となれば、
もっと「経済的要素」、つまり、お金のことに関する教育をしてほしかった。
「お金」の話をすると、逆に怒られる?そんな風潮さえあったような気がする。

自分が、子どもの頃とは比較にならないほど「経済的要素」も「社会的要素」も厳しい時代。
これからも、ますますお金の知識が必要。
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